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忘備録 / なんでも雑多に

妊娠したかもしれない

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タイトル通り妊娠したかもしれません。

 

まだ検査薬だけで産婦人科へ行ったわけではないのであいまいな書き方。しかし、生理予定日から6日後(フライング)、7日後、8日後と3日連続で検査薬が陽性だったので多分間違いないのではと思っています。
まだちゃんとエコーで見てないし、もし妊娠してても無事に育たない可能性もあるし、心配や不安なことは尽きませんがとりあえず書かせてください。

 

ヤッターーーーー!!!!!

 

これからは妊娠のことも積極的に書いていきたい気持ちです。陽性反応が出た時の気持ちとか、妊娠超初期症状のこと、これからわたしが出産に向けて準備したことや勉強したことなんかを書けたらいいなと思います。強く育ってくれ我が子。頼むぞわたしのはぐくむ力。
どこの需要に向けた記事になるのかという気持ちはありありですが、わたしの妊娠の日記兼、同じような状況の妊婦さんや、妊活を頑張っておられる方に少しでも役に立つ記事になればいいなと思います。

夫が、もしも今回の子が望まない結果になってしまったとしても、それはこの子がわたしがちゃんと妊娠できる体だよと教えてくれるために来てくれたんだと思おうね、という話をしてくれました。ジーン。ほんとにそうだなと思います。

 

とにかく妊娠出来てほんとにほんとにうれしいです!
一生にそう何度もないマタニティライフを存分に楽しむぞー!

 

 

1年で変化したこと

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夏ですね

 

先日iPhoneを新しくしたらバックアップの引継ぎが全然うまくいかず、7年分ぐらいの写真や動画がすべて消えてしまった。とんでもない動揺。思い出が全部消えたと思った。

だからというと無理やりな感じがするけど、思い出は写真だけじゃなく色んな形で残すべきだと思ったので、忘備録*1として毎日のとりとめもないことを書き残しておきたい。

ネットに残っていれば媒体がダメになってもどうとでもなるよね。

 

 

 

友人がはてブを使っていたので、感化されて開設したのが1年と少し前。

開設当初、わたしは遠距離恋愛中だった彼氏にこっぴどくフラれた直後だった。昼は仕事、夜は友達と遊んで気を紛らわせていたけど、寝付つくときにはやっぱり寂しくて泣いていた。いつもそうだ。誰と付き合っても大体1年ぐらいでフラれて終わる。わたしが悪いんだ。もうしばらく恋愛なんかやめようと思っていた。

 

 

ところがどっこい。

 

 

それは突然、彗星のようにわたしに直撃してきた。今の夫である。

 

恋愛なんかもういいやと自暴自棄になり、適当な男やお酒に逃げかけていたわたしに、夫はこの上ないくらいの愛と情熱を持ってぶつかってきた。夫の一目惚れだったらしい。アプローチ初日に連絡先を交換、2日後に食事、1週間後から交際が始まり、付き合って1年で入籍した。絵に描いたようなストーリーと計画性である。

まだ入籍して日が浅いので、ここに書く内容も夫のことが多くなるかも。

 

夫の一目惚れとか言ってますけど、わたしは中肉中背、20代半ばの普通の女です。

わたしのことを可愛いと言うのは生きてて母と夫ぐらいにしか会ったことがないです。

 

 

とりあえず今日はこのへんで。

*1:備忘録が正しい表記らしいけど忘備録のほうが語呂が気に入ってるので忘備録で

神様のお膝元

 

 

朝起きたら、顔を洗って歯を磨く。

髪を梳かして服を着替えて、清潔な体で仏壇に向かう。

まずは灰が落ちていないか、汚れている場所がないかを確認する。きれいになったら供えていた水を取り替え、過去帳をめくり、線香をあげて手を合わせ、その日の無事をお祈りする。*1最後にお供えしている食べ物の状態を見て、そろそろ傷みそうだなと思ったらお下がりにして、朝ご飯の代わりに食べる。*2

家に居ない日はできないので、そういう時は帰った日にまとめて過去帳をめくっているし、昼過ぎまで寝ている日は「寝坊したわ」と謝りながらやっている。幼い頃にこうやってするものだと教わってきたやり方しか知らないので、きちんとした形式にのっとっているかは今でもわからないけど、気持ちが大事だと思って細かいことは気にしない。

生家にあった大きな仏壇でも、今住んでいるアパートの簡易的な仏壇でも、これは変わることのないわたしの日課であり、毎朝の習慣になっている。

 

 

 2019/5/5
岡山から友人が来てくれたので出雲大社に行った。初めての出雲大社だったみたいだけど、たいそう気に入ってくれたみたいでうれしかった。地元が褒められるのは誇らしい。

出雲大社にはいつも独特の静けさがあるように思う。それは人が溢れている時期でも、観光シーズンを外れ閑散とした時期でも変わらない。ゴールデンウィーク後半、初夏を思わせる26℃の出雲大社は大勢の観光客が行き交っていた。ここ数年でみるみるうちに観光地へと変貌を遂げている神門通りは賑やかだったが、勢溜の鳥居から下り山道を通り、祓いの社に着く頃にはその喧騒も遠くなっていた。

10月は旧暦で神無月と言うけど、島根県の出雲地方だけは神在月と言う。全国の神様が出雲大社に集まるから、出雲は神在、他は神無。その子はこれを知らなかった。びっくり。

下り山道の真ん中は神様の通り道なので参拝者は両脇を歩くこと、手水舎での手の洗い方や、御本殿の大国主命は西向きに鎮座しているので参拝は西回りですること。わたしが当たり前みたいに知っていたことは、わたしが出雲で生まれ育ったから当たり前だっただけで、世の中にとっては全然当たり前じゃないのだとこの時はじめて気が付いた。


友人は、わたしたち出雲に住む人の霊性や信仰の高さに感心してくれていたし、「目に見えない共通認識が出雲人のアイデンティティ」だと例えてくれた。なるほどなあ。みんなが気付いているかはわからないけど、出雲大社のお膝元に生まれ育ったわたしたちには、大なり小なり神様を敬う精神が根付いているのかもしれない。

 

 

 

「罰当たり」という言葉がある。

一般的には「先になにかしら悪いことをした罪の意識から、何かが起きたときに罰が当たったと思うこと」という意味で捉えられていると思うけど、わたしが思う罰当たりは違う。わたしが思う罰当たりとは、「神様が怒るようなことをしたら、どこかで必ずその報いを受けるに違いないからやめておこう」という、めちゃめちゃスピリチュアルな意味を持つ。罰をくだすのは誰か、というのを罰が当たった後に思うのか、罰が当たる前から思うのかは大きく違う。

例えば、下り山道の真ん中を歩いたっていいし、誰も見ていなければ賽銭箱の中からお金を盗んでもわからない。何年も墓参りに行かず墓場が荒れようとも、仏壇に供えた果物が腐ろうとも、なにも思わない人は思わない。それでなにか悪いことが起こっても、それを神様のせいだと思わない人は思わないのだ。

 
「天網恢恢疎にして漏らさず」ということわざが好きだけど、わたしの思う罰当たりの意味と似ている。これは「天が張りめぐらした網は広く、目も粗いようだが、悪事・悪人を決して取り逃がすことはない」という意味で、天道は厳正であり、悪さをすれば必ず天罰が下ることを表している。現実は必ずしもこうじゃないけど、そうであればいいなと思う。良い行いをしたひとには良いことを、悪い行いをしたひとにはそれ相応の報いを、という理想。神様はいつも理想と祈りの中に住んでいる。

 

 

わたしはこれからも、なるべく欠かさず仏壇に向かうだろう。なるべく神様に恥ずかしくないような生き方を心がけるだろうし、恐ろしいことがあれば無事を祈る。助けられたと思えば見守ってもらえたことに感謝する。先祖代々みんなそうしてきたように、わたしもそれに倣い、そして自分の子どもにもそうするように教える。「罰当たりなことはしちゃだめだよ、神様が見てるからね」と、当たり前のように神様がいる前提で。

 

 

そういえば、出雲大社は縁結びが有名だけど、結んでくれるのは恋愛だけじゃなくて、人とつながる全ての縁だと言われてる。友人は仕事の縁をお願いしたらしい。

どうぞ良いご縁がありますように!

 

 

 

 

そして出雲大社の写真を載せたかったのに1枚も持っていないことが判明したので、代わりに出雲大社付近で食べられる蕎麦の写真貼っておきます。

一福さんのお蕎麦おいしいよ。

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 #初投稿 #出雲大社

*1:わたしは母方の祖母の記憶が強いので、いつもその祖母に話しかけるようにしている。

*2:大抵は季節の果物